中国進出インタビュー

第 60 回「駐在員のグローバル教育について」上海美麓国際貿易有限公司
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小田島総経理
中国駐在者の駐在期間は3年~5年となるケースが多いです。また日本で全く異なる業務を行っていたところ、ある日突然、中国赴任を言い渡された方もいらっしゃいます。今回は中国ビジネスに20年以上携わり、中国駐在歴が16年を迎えられた上海美麓国際貿易有限公司<日本本社:株式会社ミロク>の小田島総経理に中国で働く日本人駐在員や中国の移り変わりについてお話を伺いましたので、ご紹介致します。
 

 

 

 

  

 
 

◆ 株式会社ミロク
日本本社の株式会社ミロクは、エレベーター用ケーブルのパイオニアとして常に独創的な取り組みを行い、先端の技術を駆使した製品を送り出すことで、普段何気なく利用しているエレベーターや業務用の大型昇降機器まで、実に多くのエレベーターにミロクが開発するケーブルや配管材料が使われています。
株式会社ミロクは中国ビジネスに関して長い歴史を擁していますが、現在の上海美麓国際貿易有限公司として上海へ進出したのは2012年からになります。現在の中国ビジネス環境は、中国経済の成長鈍化や為替変動など決して楽観視出来る状況ではありませんが、その状況下で弊社は中国へ進出した日系企業のお客様のニーズに合わせて、主力商品であるエレベーター用ケーブルに拘らず、多岐に渡る商品を提供しています。
 
◆ 中国で働く日本人
私はミロク中国現地法人の総経理を務める前は、他の電線メーカーに勤めていましたが、前職の時から中国に駐在していました。前職時代に初めて中国に出張で来たのが1990年、出張を何度か繰り返した後に、2000年に中国へ駐在することになりました。中国に駐在してから今日まで駐在歴が16年を超えた中で、多くの日本人駐在員とお会いしましたが、日本人は中国人と比較して順応性が低いように感じる時があります。
日本へ留学や就職する中国人は、まず日本の文化を一生懸命学びます。その国の文化が理解できれば、その国または会社のルールに対する理解も深まります。そして中国人は先進国である日本から良いところを学ぼうとします。
その反面、日本人は中国に対して発展途上国というイメージが強く、中国の悪いところばかりが目に付いてしまう傾向があります。仕事の場合も同様で、我々は中国の文化や風習を学ぶ前に日本で働いていた時と同じ考え方や手法を押し付ける傾向になりがちです。その結果、中国人と日本人の間に溝が出来てしまう等問題が生じるケースが見受けられます。中国で成功する日本企業あるいは日本人というのは、中国の文化・風習・ルールを学び、順応できる企業であり、人ではないでしょうか。
 
お話したとおり私が初めて中国へ出張したのは1990年でしたが、当時は中国へ進出している日本企業が少なかったため、必然的に中国ローカル企業と取引するしかなく、ビジネスをするためには中国の社会・ルールに入っていかなければならない状況でした。
中国に赴任して間もない頃、前職の会社で工場の管理をしていましたが、私が赴任する前の工場は、窓には鉄格子がはめられ、社内のルールも非常に厳しく、中国人と日本人の間に大きな溝が出来ておりました。当時、そのような環境で働いて中国人は楽しいのか疑問を感じた私は、社内のルールを緩和し、日本人と中国人が一緒に働きやすい環境を作り上げることが重要と思い、工場の環境改善に取り組みました。
 
海外への順応は、決して海外へ駐在している個人の責任ではありません。派遣する企業側にも問題があります。現在多くの企業がグローバル化を図り、世界各国に拠点を設立しています。しかし企業自身がグローバル化したものの、派遣する人材に対して現地で働くための事前教育がなされないまま着任されるケースが多く、更に3~5年と言う短い期間で成果を収めなければいけないことから、日本で得た考え方・手法を現地の人に押し付けてしまう仕事しか出来なくなりがちです。
人によっては日本企業だから、日本の考え方・手法で仕事するのが当たり前と言う人もいますが、やはり各国の歴史・文化・風土・ルールが異なれば人々の考え方や風習も異なるものです。海外でご活躍の企業あるいは日本人は、現地の事情をより多く把握し、それを受入れながらも日本らしさを導入した会社作りを行われている方々と思います。
 
◆ 今時の中国人
中国人の働き方もこの10数年で大きく変わりました。2000年頃の上海の初任給は470元。当時は夜中に田舎から集団で長距離バスに乗って上海へ来て、バスが工場の前に着き、田舎から来た労働希望者が1社1社の工場と面接していた時代です。
その時あった出来事で思い出すのが、当時面接した若い女性の一人で、どう見ても実際の顔と身分証明書の顔が違うのです。面接した時は、写真の写り方の問題かと思い採用したのですが、その2年後、彼女が20歳になった時に、20歳になったら住んでいる場所で身分証明書を登録する、日本で言う住民票の登録のような手続きをする必要があったので、彼女を役所に連れて行こうとしたのですが、彼女はどうしても行こうとしません。理由を問いただすと、彼女は年齢を詐称しており、面接当時が16歳、今になって18歳になったと言うのです。面接時に会社へ提出した身分証明書は彼女のお姉さんのものでした。会社としては規定を破った彼女を罰せなければいけなかったのですが、彼女が「この会社を辞めると、実家に仕送りが出来なくなるので、なんとか会社に残して欲しい」と泣きながら嘆願していたのを今でも覚えています。
また彼女以外の出稼ぎ労働者も非常に苦労していました。当時初任給に残業代を入れると手取りで700~800元程度の給与でしたが、ある従業員は給与で初めて買った物がパンという話もありました、会社に入る前は1日3食を食べることが出来なかった従業員もいました。当時の宿舎は、一部屋に大人数で寝泊りする所謂タコ部屋でしたが、屋根があって雨露をしのげるだけ良かったと話す従業員もいました。またある従業員は、工場がある上海には田舎から長距離バスで連れて来られた為、どのようにして田舎に帰れば良いか分からない従業員もいました。
それが今では、部屋にエアコンが無い、食事がまずい、一人部屋ではない等の理由で工場を辞めてしまう若者が多くいます。当時を振り返ると、今の若者は心身ともに満たされている人間が多くなりました。この急速に発展した中国において、今後企業は人材を確保するために雇用条件や環境を益々整備することが必須となってきています。
 
◆ これからの中国ビジネス
以前は中国内陸部から上海に来ていた出稼ぎ労働者も、内陸部の経済発展に伴い、地元周辺で就職することが容易になりました。そのため、上海での求職者は減少傾向にあり、企業は優秀な人材を確保するために最低賃金以上の給与設定をしなければいけない状況です。
このような状況ですので、今の中国では安い賃金をベースにしたビジネスモデルが厳しい時代に突入したと言えます。この状況の打開策として、ここ数年では労働力に頼らない工場の自動化やロボットという分野が活気を帯びています。
長年駐在して感じるのは、中国は日進月歩で変化を遂げているということです。この変化を遂げている国でビジネスを成功させるためには、変化の流れを迅速に掴み、流れる先にビジネスビジョンを描いていくことが必要ではないでしょうか。昔のように安い労働コストを目的としたビジネスから、どの製品を、どこで製造して、中国のどこで売るのか明確なビジョンをもったビジネスにしなければ、今後の流れに乗っていけないでしょう。私たちミロクも、ケーブルの販売を目的に中国へ進出してきましたが、現在は中国の変化に対応するため、今までやっていなかった新たなビジネスモデルの展開を図っています。
駐在歴も長くなりましたが、日進月歩変化するスピードを体感して、私自身も刺激を受けました。これからも可能な限り駐在をし、今後どのような変化をこの国が成し遂げていくのかを直視しながら体験できればと思っております。
 
※企業情報(URLご参照)
株式会社ミロク      ホームページ:http://www.miroku-tokyo.co.jp/index.html
(東京都民銀行蒲田支店取引先)
 
❒ 取材を終えて
総経理のお話を聞いて改めて気づいたのは、中国は日々変化しているということです。16年前と現在の中国、日本の16年間とは全く異なる変化のスピードです。今後の経済動向について様々な意見がある中国ですが、今後も国が大きく動いていくことは間違いないでしょう。この変化の中で、日本企業にも新たなビジネスチャンスが生まれてくるかもしれません。
 
 
聞き手=都民銀商務諮詢(上海)有限公司 蓑田 光
お問い合わせは tomin_shanghai@tomin-bc.com.cn まで

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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