上海駐在レポート

第 97 回「移民の都市 深セン」

筆者が深センに赴任して約半年となりました。半年の節目はちょうど国慶節という中国の祝日です。10月1日から1週間の大型連休となります。中国では日本と同様、連休中の交通機関は非常に混雑しますので、連休の移動は特に計画的に行わなければなりません。特に深センは都市の中でも出稼ぎ労働者のが多い事で有名です。帰省ラッシュは他の都市に比べ多くの人が交通機関に殺到します。中国の出稼ぎ労働者の多くは内陸部からより高い給料を求めて海岸部の都市へと移住します。今回は深センに住む人々がどこから来て、そしてなぜ深センを選んだのかをレポートしたいと思います。





〇深セン市の発展の歴史


深セン市は広東省の中南部に位置し、北は工業地帯として有名な東莞市、北東から東部にかけてこちらも工業地帯として有名な恵州市と接しています。西部には雲南省、貴州省、広西チワン族自治区、広東省、マカオ特別行政区、香港特別行政区を経て南シナ海に注ぐ珠江が流れています。珠江は全長約2,200㎞と長江、黄河等に次ぐ大河です。この珠江の巨大な入り江を珠江デルタと呼び、香港特別行政区やマカオ特別行政区を含む巨大経済圏が気付かれており、中国華南地区の中心地となっています。そして南部には香港特別行政区が位置し、中国大陸と香港特別行政区を繋ぐ都市として発展したのが深センです。
深センは今では「中国のシリコンバレー」や「金融都市」と呼ばれていますが、1979年までは小さな漁村が点在する地域でした。1980年に経済特区に指定されてから発展を開始し、今では、北京、上海、広州に並ぶ都市となりました。
経済特区指定後、香港特別行政区に材料調達、資金調達、販売の拠点を設置した外国企業が、中国大陸部で安価な労働力を利用して製品を作る「加工貿易」が発展します。この加工貿易により深センは工業都市として発展を開始します。経済特区指定直後から日系の大手複写機メーカーや家電メーカー等が進出し、その後、広東省の広州市には日系大手自動車メーカーが進出します。部品数が多いこのような業種が進出した事で、多くの材料メーカーが周辺部に作られ、広州市と深セン市の間にある東莞市は工業地帯として発展する事となります。このサプライチェーンを利用する事でスマホ産業等のハイテク産業が勃興し、現在の深センを形作っています。

〇深センには湖南省料理が多い


 深セン市は移民都市である為、独身者が多いと言われています。その為、仕事帰りに食事をする働き手を対象とした数多くのレストランが存在します。中国では地域によって調理法や味が全く違い、北京ダックを代表とする北京料理、麻婆豆腐の四川料理、点心で有名な広東料理と言った様に各地にそれぞれ独自の料理があります。レストランも地域の名を冠した店名が多いです。筆者も同僚と食事をする際は、どの地域の料理を食べるかをまず相談します。深セン市は広東省なので広東料理が多い事はもちろんですが、次に湖南料理が目立ちます。湖南料理は中国では「湘菜」と表記されています。特色として四川料理同様唐辛子をふんだんに使った辛い料理が多い事で有名です。四川料理を形容する際、唐辛子と山椒を利用した「麻辣」と言うのに対し、湖南料理は·唐辛子と酢を利用した「酸辣」と形容します。筆者の同僚にも湖南省出身者が居ますが、彼らと食事に行くと辛い料理が出てくる事が多く筆者を含めた日本人は唐辛子を避けながら食事をする事になります。
正確な統計はありませんが、湖南料理のお店は広東料理のお店と変わらない程あるように思われます。又、大手検索サイトを運営する「百度」による広東省の東莞市、広州市の住民の出身地調査によるといずれの市も1位が広東省、2位が湖南省となっており、湖南省から広東省に出稼ぎに来る人々の多さが分かります。
湖南省出身者が多い理由に工業を主な産業とした事で安価な労働力を必要とした事が一つの理由ですが、交通機関の有利性があった事も挙げられます。

〇なぜ深セン市に人が集まるのか


冒頭にもありますが、中国の国慶節は大移動の日となります。鉄道の駅には人が溢れかえり、鉄道チケットは一週間前には売り切れています。当日券を買おうと安易な考えではどこに行く事も出来ません。普段以上に鉄道の本数も増えますがそれでも足りない程です。特に多くの便数があるのは湖南省へ向かう電車です。深セン市内の鉄道駅から湖南省までは3時間30分程で着くという利便性の良さが湖南省からの出稼ぎ者が多い理由です。交通の便から深セン市を選び、深セン市で働いているのです。その彼らへ郷土料理を提供する為に湖南料理屋が進出して来た事で深セン市内には湖南料理が多いのです。人気店は湖南省で料理人を雇い、材料を湖南省から仕入れる徹底ぶりです。
湖南省出身者には生活し易い都市となった事が湖南省から更に人が集まる理由なのでしょう。






〇終わりに


筆者が考える深セン市最大の魅力は数字では表せないところにあると言えます。深セン市は昨年成立40周年を迎えたばかりです。中国数千年の歴史と言いますが、深セン市にはその歴史は殆どありません。しかし、その新しさにより外来人口が多く、広東省にありながら広東語は殆ど聞く事がなく、普通語(北京語)のみ話す筆者にとっても言葉に困る事はありません。更に、先祖代々住んでいる人々は少なく、よそ者という概念もありません。深セン市には「来了就是深圳人(来たらすぐに深圳人)」というスローガンがあります。先日筆者が深セン市内のビル群を利用した、中華人民共和国成立70周年の記念イルミネーションを見に行った際、このスローガンが表示された瞬間に会場がどっと沸いたのを目にしました。内陸部から出てきた彼らは北京、上海、広州という歴史と勇名を持つ都市に並ぶ深センという都市の住人となれた事に魅力を感じているのだと思われます。
現在の深セン市は二次産業の比率が低下しています。原因は多々ありますが、都市の発展に伴う賃金の上昇、人口の増加に伴う地価の高騰で三次産業の成長を推し進めている事が最大の要因に挙げられます。また、より安価な立地や労働力を目指して東南アジアへ移転する企業も増えています。
しかし、深セン市成立より周辺市を含めて構築されたサプライチェーン網や40年間で蓄積された技術は他の地域にはないものと言えるでしょう。地場企業の技術レベルはこの数十年で飛躍的に向上しており、安価な労働力のみを求める外資企業を圧倒しつつあります。労働力としての中国から市場としての中国をいかに取り込む事が出来るかが、中国ビジネスにおいて重要な局面となったのだと感じます。

以上
深セン駐在 吉田

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